
収穫すると特別感が消える?
ミニトマトが赤く色付き、ついに収穫。
暑い中世話もして苦労したよね、ついに感動の収穫だ、と赤いトマトに手を伸ばす。
ぷりぷりした立派なミニトマト。
スーパーで売っているプロ農家のミニトマトと比べても遜色ない。
熟したミニトマトは、手で簡単にポロッと取れる。
トマトの樹に生っているミニトマトを、手に取る。
なぜだろう?
手の上にあるミニトマトがただのミニトマトに見える。
いや、育てているのがミニトマトなのだから、ミニトマトはミニトマトのはず。
育てているミニトマトの樹に生っている実の特別感はなんだろう?
特別に感じる実が、収穫した途端に普通にミニトマトに見える。
いや、普通に感じるというべきか。
ふと気がついた。
育てている特別感があったのだと。
野菜を育てる過程が楽しい?
「収穫以上に育てること自体が楽しい」
家庭菜園で、
種を蒔いたり、苗を植えたり、
水や肥料をやったり、雑草を抜いたり、
野菜が成長したり、うまく育たなかったり、虫に食われたり、
成長していく過程を観察する時間が楽しい。
家庭菜園では育てる過程が楽しい。
商売としての責任感がないから、純粋に育っていくのを見るのが楽しい。
育てている野菜は毎日変化し、同じ姿を見せない。
栽培計画を立てて植える。
試行錯誤して育てる。
毎日の変化を楽しむ。
結果としての実を収穫する。
経験を通して、次回や後作の計画を立てる。
これを繰り返す。
生育は天候に左右されるため、自然相手の栽培を実感しながら、育っていく姿を眺める。
うまく育たたないときや、虫食いのときなどはがっかりするが、それすらも経験として楽しんでいるかもしれない。
ミニトマトの樹に生っている実は、育っている姿で、
収穫した実は、野菜としてのミニトマトの姿なのだ。


