足摺岬を旅する~ジョン万次郎資料館まで

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行ってきました、足摺岬。
遠いけれど、逆にのんびりできて最高でした。
昔足摺岬に行った頃より高速道路やバイパスが通り、高知市内からでも時間がかからずに行けるようになりました。
抜群に新鮮な海の幸をたっぷり味わえる旅を満喫しました。

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高知の最南端にある足摺岬(あしずりみさき)

足摺岬は高知の西南部に位置し、足摺半島の先にある四国最南端の岬です。
足摺岬がある土佐清水市は、四万十川で有名な四万十市(旧中村市)より南西部に位置します(30km以上離れています)。
土佐清水市街からまだ国立公園内に入り、ようやく足摺岬にたどり着きます。
足摺岬は椿の花が有名です。
もちろん青い青い太平洋も目の前に広がります。

四万十市でも鮮度の良い魚を食べることができますが、土佐清水市まで来ると一段と魚の鮮度が違います。
朝どれピチピチです。
もし四万十市まで来る機会があれば、少し足を伸ばして土佐清水市まで来ることをオススメします。
土佐清水市まで来ると、スーパーの魚コーナーでさえ鮮度が違います。
土佐清水で魚を食べると鮮度が良すぎて、他の地域で食べる魚が霞んでしまいそうです。

今回は人が少ない温泉でゆったり過ごし、新鮮な海の幸が目的です。
その前に少し足摺岬の観光をしました。
まずはジョン万次郎資料館。

漂流して渡米したジョン万次郎

ジョン万次郎って誰?

ジョン万次郎(中濱万次郎)は土佐清水市で生まれ、漁に出て遭難しアメリカの捕鯨船に救助され、その後日本人として初めてアメリカ本土に渡りました。
アメリカで教育を受け、その後帰国し、幕末から明治にかけて国際的に活躍した人物です。

万次郎は漁師の息子でした。
土佐清水に寄った土佐市宇佐の船に預けられて漁師になりました。しかし宇佐から漁に出て仲間と一緒に遭難し、今の鳥島にたどり着きます。
無人島で飢えに苦しんでいた万次郎達はアメリカの捕鯨船に救出されます。
ジョン・ハウンドランド号に救出されたため、万次郎はジョン・マンと呼ばれるようになりました。

万次郎達は捕鯨船でハワイに渡ります。仲間の4人はそのままハワイに残り、万次郎一人が船長とともにアメリカに渡りました。
万次郎は船長に気に入られ養子にまでなり、アメリカ本土で教育を受けることができました。

読み書きもろくに習っていない万次郎でしたが、船長に見込まれてアメリカまで連れて行ってもらい教育まで受けさせてもらえるのですから、かなり優秀だったのでしょう。
英語を覚えアメリカで教育を受けるというのは、鎖国していた当時の日本では考えられなかったでしょう。
漁で遭難し餓死しかけた万次郎でしたが、その結果日本人で初めてアメリカ本土での暮らしを経験することになりました。
船長と一緒にマサチューセッツ州ニューベッドフォードのフェアヘブンで暮らし、学校に通い航海術から造船の技術まで習います。

フェアヘブンでの暮らしで、万次郎は最新の文明や文化に触れます。
アメリカで船員としての暮らしをしますが、やがて帰国を試みます。
もったいない気もしますが、母親や故郷などの望郷の念がやはりあったのでしょう。

ゴールドラッシュの時代だったので金山で資金を作り、万次郎とハワイに残った仲間の一部は帰国します。
海外から戻った万次郎は取り調べを受けますが、鎖国政策が終わる時代であったためアメリカで得た知識や技術が重んじられ、やがて様々な役職に付きます。
故郷にちなんだ中濱という名字を名乗るようになります。

もし鎖国が続いている時代であれば、活躍の場がなかったかもしれません。時代の変化も万次郎にとっては良かった時期でした。
万次郎は航海術や英語を教えるようにもなり、開成学校(今の東京大学)の教授に任命されます。

ジョン万次郎資料館

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万次郎がもし海で遭難していなかったら、漁師の人生を続けていたかもしれません。
波乱万丈の人生ですが、運と時代の変化、そして忍耐と頭脳と努力により人生が一変した人物です。

鎖国していた日本では、英語が使える日本人もいなくて、最新の航海術の知識もなく、万次郎の知識と経験は唯一無二の希少価値でした。
その時代に合った希少価値を持った人物になった万次郎の人生。
ジョン万次郎資料館を巡って考えさせられる時間でした。

ジョン万次郎資料館は足摺岬にあります。
ジョン万次郎の人生を巡ることができます。
ジョン万次郎の縁で、土佐清水市はマサチューセッツ州のフェアヘブン及びニューベッドフォードと姉妹都市を結んでいます。
万次郎たちを救出した船長宅は、現在ホイットフィールド万次郎友好記念館になっています。

幡多地域でのんびり旅行

高知の西部地域を幡多地域と呼びます。
高知市内からかなり距離がありますが、高速道路等の整備で時間短縮ができるようになりました。

予想外に早く四万十まで着いたため、具同でひと休み。ここで遅めの朝食です。
四万十市はバイパスが通り、道に沿って発展して店がたくさんあります。
定休日のところを外して店に入りました。
高知のモーニングは盛りだくさんのメニューが普通で、普通にサラダやヨーグルトが付いてきたり、食パンに加えてミニうどんまで付いてきたりする場合もあります。
食事療法中なので今回はご飯メニューを選択しました。

モーニング 具同 朝ご飯 とさくら とさくらマンガブログ ブログ Tosakura 高知 

ランチと言っても良いくらいのボリュームでした。
幡多地域は愛媛の文化が入ってきているのか、味付けはマイルドで味噌汁は甘めでした。
高知ではモーニングの後にお茶が無料で出てきます。
ごちそうさまでした。

その後足摺岬のジョン万次郎資料館までノンストップでした。

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