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28. 本州四国連絡橋と四国高速道路網の整備の前と後

本州四国連絡橋ができる前とできた後では、四国は変化しました。

四国は昔陸の孤島と言われていました。

飛行機とフェリーが終わる時間になると、本州に渡る方法がありませんでした。

今は本州四国連絡橋ができ、本州と近い距離になりました。

四国お遍路に来る人にとって、便利になったでしょう。

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本州四国連絡橋ができるまで

本州四国連絡橋ができるまでは、四国は孤立状態の部分がありました。

本州にはフェリーか飛行機で行くしかありませんでした。

対岸に渡る方法がフェリーしかなかった時代、天候の悪化で欠航がある場合は対岸への交通手段が制限されてしまいました。

本州四国連絡橋ができて、四国と本州は24時間繋がるようになりました。

その代わり多くのフェリーが廃れてしまいました。

もし、本州四国連絡橋ができていなかったら、関西や中国地方に人にとって四国は遠い場所のままだったでしょう。

本州四国連絡橋や高速道路などのインフラが整備されて、多くの変化が起こりました。

人に行き来はもちろんですが、物流が大きく変化しました。

四国のものが本州に流れ、本州のものが四国に入ってきました。

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本州四国連絡橋と四国高速道路網ができた後

本州四国連絡橋と高速道路網が整備される前と後では物流が圧倒的に変化しました。

実際に自動車の交通量は飛躍的に増加しています。

物流が便利になることは、地場産業にとっては販路の拡大の機会になりますが、一方で本州からの流入と競わなければならなくなります。

観光の誘致に関しては、有利に働いたでしょう。

本州とのインフラ整備が進んだことの功罪はありますが、本州四国連絡橋と高速道路網が整備された後の四国に住んでいて、その利便性は大きいと感じています。

高松は県外企業の支店や国の出先機関が集積しており、支店経済都市でした。

交通網の整備後は、大都市に吸い取られる現象(ストロー効果)があったように思われます。

今は、高松は格安航空会社(LCC)のお陰で、訪日外国人客が増加しています。

実際に高松の中心に行くたびに、訪日外国人客が増えたと感じます。

徳島の人は対岸の神戸に出かけやすくなりましたが、関西の観光客が徳島に来て食事をしている風景を観るようになりました。

愛媛では、しまなみ海道はサイクリングロードとして有名になりました。

高知は直接橋が架かっていないのですが、他県にかなり行き来しやすくなりました。

外国人のお遍路さんをよく見かける

四国八十八ヶ所を巡る四国お遍路は有名ですが、最近外国人のお遍路さんをよく見かけるようになりました。

お遍路では、弘法大師(空海)が修行した跡をたどり、お大師さま(弘法大師)との由緒がある八十八ヶ所の霊場を巡拝します。

遍路という言葉は、辺地「へち」から来ていると言われています。

お大師さまは四国の辺地を歩いて修行しました。

高知に住んでいて、「へち」という表現を聞いたことがあります。

「へち」ってなんだろうと最初は思いました。

辺地「へち」は離れた際の土地のことです。

天候の良いお遍路シーズンには、バスでの遍路ツアーや歩き遍路の人をよく見かけます。

杖を持ち白装束を身に着け、一人で歩き遍路をする人を見かけるとき、その人はどんな思いで遍路を始めたのだろうとふと考えます。

四国霊場八十八ヶ所は険しい道のりにあります。

自分は車でふもとまで行って参拝しますが、それでも階段を登って参拝するのは大変です。

徒歩で八十八ヶ所をめぐる歩き遍路はとてもできそうにありません。

高知で歩くお遍路さんに最近外国人をよく見かけます。

白装束、菅笠、金剛棒、そしてリュック、後ろから見るといつもの一人遍路の人なので区別は付きません。

最近外国人に四国遍路が人気と聞きます。

弘法大師さまへの信仰ではなさそうですが、日本での巡礼なのか、美しい自然の風景旅なのか。

黙々と歩いている姿を時々見かけます。

LCCや交通網が整備されて、四国に人が訪れやすくなりました。

四国霊場八十八ヶ所を巡り終えることを結願(けちがん)と言います。88番札所「大窪寺」で 結願になります。

お遍路さん達が無事に結願されますように。